三週目の新居

人と話すというのは意図せずおこるものですね。

今日は一日休みの予定が、管理人さんが風呂をチェックしにくることに。

だって、風呂釜、追いだきすると変な音がするのだもん。
ぽーーーーーーみたいな。

ジャバのやりすぎでしょうか。
でも、やってもやっても出てくるこびりついた汚れ……。

結局三週目に入ってもお風呂に入れないのでいるのでした。
管理人さんがきて、業者の人に見てもらえることになったからちょっと希望の光が見えたけれど……。

さて、今日はいろんな人と話しました。

図書館に行こうとしたら、上の階の親子にばったり。そして初の立ち話。

図書館で予約したswarrows and amazons がまだ来てないということを聞く。

本を読んで、東京ガスへ。ふてぶてしくも給湯器はどこに売ってるか聞くと量販店と親切に教えてくれる。

帰り道、自動販売機の前でおばさんに声をかけられる。
腸にやさしい飲み物はどれですかね?
色々一緒に話しながら、おばさんは麦茶を購入。冷たいんだけど……いいのかな……。


話すという行為ひとつだけで、相手が分かる気がして、私は話すのがすきです。
まったくの赤の他人には、自転車でうまくすれ違えなかっただけで悪態をついてもいいらしい。
こっちの不快など知ったこっちゃない、ということなのです。

でも、話をすると、相手を思いやれる気がします。

話をするってことは、空気を共有するということなのですね。
相手の呼吸を知るということ。
それは、相手を生身の人間だと知るということでもあるのですね。

上の階の坊やがどれだけ走っても、知っていれば全然平気だし、
何度も風呂の愚痴を言っていたら、管理人さんも浴槽のことも聞いてくれると言ってくれたり、
生身の人間を知るとはそういうことなのかなと感じた今日でした。

悪徳業者などは心シャットアウト!ですが!!